ことさえ、気がつかなかったのは、まことに幸運だったと、圭子の心は快哉《かいさい》を叫んだのである。
 圭子は、にわかに元気づき、椅子の背に昨夜《ゆうべ》のままかかっているドレスを取って、手早く支度をしてしまった。
 母とも妹とも、口をきかず、怒っているような姿勢を取って家を出ると、途中日比谷で下りて、そこの郵便局で現金に換え、三時少し前に劇場へ着いた。
 小池は、一時間も前から来ていたらしい。圭子の顔を見ると、
「どうです、首尾は?」と、さすがに、不安そうにオズオズ訊くのを、圭子は快活な笑顔で受けて、
「上首尾よ! でも、随分おかしい半端よ。百四十円、百五十円に十円足りないのよ。」
「けっこうですとも。けっこうですとも、それだけあれば、御の字ですよ。」と、こんな人が、こんなにと思われるほど小池は相好《そうごう》を崩していた。

        七

 親姉妹《おやきょうだい》に対する内面《うちづら》は悪いくせに、他人にはひどく当りがよく、他人から頼まれると、いやとはいえないような圭子だった。
「それで今日と明日とは、どうにかなります。だが、問題は明後日ですな。」という小池に、
「明後日
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