、御所へ伺う間|暫《しばら》く待たれよ」と云う事になったので、滝川播磨守は、土地の豪家村岡某の家に入り休息していると、薩長の兵はいつの間にか村岡の家を包囲し、石橋の上には大砲二門を引きすえ、今にも発砲しそうな擬勢を示したので、播磨守は形勢の険悪なるを察して、引き退いた。
 午後四時を過ぎる頃、桑名、高松、松山の藩兵が、鳥羽街道を圧して上って来た。今度は、薩兵と中島、東池の辺で出会った。
 桑名藩より、徳川殿|今度《このたび》勅命により召寄せらるるにより、先手の者上京する由を告げたが、薩兵聴かず、問答を重ぬる裡、薩州より俄《にわか》に大砲を打ち出したが、最初の一発に桑名の兵、十数人打ち重って倒された。これが鳥羽伏見の戦の最初の砲火である。両軍銃火を交えて戦ったが、幕軍は行軍のままの隊形だったし、小銃が少いものだから、薩長のために、打ちすくめられて、死傷|頗《すこぶ》る多かった。
 幕軍が下鳥羽まで退却して、夜の十時近く夜食を喰っているところを、京軍更に夜襲して、一大激戦となったが、幕軍再び敗れて退いた。だが、京軍の方でも、市木、大山、後藤等の諸将が倒れた。
 伏見口の方には、最初から新選
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