組が幕軍の前衛として、駐屯していた。
慶喜が二条城を去った後、永井|玄蕃頭《げんばのかみ》が、之を預り大場一心斎麾下の水戸兵二百人と、新選組百五十人が守備に任じていたが、大場は元来勤王思想があるので薩長と気脈を通じている容子があるので、近藤勇は憤慨して、十七日に二条を去って伏見に来て、其地の奉行所衛兵と合同して、警備の任に就いた。
所が、以前に近藤勇の為めに、倒された転向勤王派たる、伊東|甲子太郎《きねたろう》の残党なる鈴木三樹三郎、篠原|泰之進《やすのしん》、加納|就雄《なりお》などが、薩摩の伏見屋敷に庇護されていた。
十二月十八日、近藤が上京した帰途、伏見街道藤森に於て突如物陰から狙撃され、その右肩に重傷を負った。むろん、伊東の残党の計画であるが、そのために近藤は鳥羽伏見戦争には参加することが出来なかったので、土方|歳三《としぞう》が指揮をしていた。
新選組も、この頃は、剣ばかりではどうにもならないのを悟ったと見え、幕軍の間宮鉄太郎の隊より大砲二門を借りて来ていた。
伏見の方は、戦前から両軍が対峙していたわけで、鳥羽口の砲声が、開戦の合図になった。
土方歳三は、伏見京橋
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