はない。驍勇《ぎょうゆう》無双の秀康卿の子と生れ、徳川の家には嫡々の自分であると思うと、今日の武勲のごときは当然過ぎるほど当然のように思われて、忠直卿は、得々たる感情が心のうちに洶湧《きょうゆう》するのを制しかねた。
「お祖父様は、この忠直を見損のうておわしたのじゃ。御本陣に見参してなんと仰せられるかきこう」と、思いつくと、忠直卿は岡山口へ本陣を進めていた家康の膝下《しっか》に急いだのである。
 家康は牀几《しょうぎ》に倚って諸大名の祝儀を受けていたが、忠直卿が着到すると、わざわざ牀几を離れ、手を取って引き寄せながら、
「天晴《あっぱれ》仕出かした。今日の一番功ありてこそ誠にわが孫じゃぞ。御身の武勇|唐《もろこし》の樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]《はんかい》にも右《みぎ》わ勝《まさ》りに見ゆるぞ。まことに日本樊※[#「口+會」、第3水準1−15−25]とは御身のことじゃ」と、向う様に褒め立てた。
 一本気な忠直卿は、こう褒められると涙が出るほど嬉しかった。彼は同じ人から昨日叱責された恨みなどは、もう微塵も残っていなかった。
 彼はその夜、自分の陣所へ帰って来ると、家臣をあ
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