人の死を聞いた忠直卿は、少しも歓ばなかった。与四郎が覚悟の自殺をしたところから考えると、彼が匕首をもって忠直卿に迫ったのも、どうやら怪しくなって来た。忠直卿に潔《いさぎよ》く手刃《しゅじん》されんための手段に過ぎなかったようにも思われた、もしそうだとすると、忠直卿が見事にその利腕を取って捻じ倒したのも、紅白仕合に敵の大将を見事に破っていたのと、余り違ったわけのものではなかった。そう考えると、忠直卿は再び暗澹たる絶望的な気持に陥ってしまった。
忠直卿の乱行が、その後益々進んだことは、歴史にある通りである。最後には、家臣をほしいままに手刃《しゅじん》するばかりでなく、無辜《むこ》の良民を捕えて、これに凶刃を加えるに至った。ことに口碑《こうひ》に残る「石の俎《まないた》」の言い伝えは、百世の後なお人に面《おもて》を背けさせるものである。が、忠直卿が、かかる残虐を敢てしたのは、多分臣下が忠直卿を人間扱いにしないので、忠直卿の方でも、おしまいに臣下を人間扱いにしなくなったのかも知れない。
六
しかし、忠直卿の乱行も、無限には続かなかった。放埒《ほうらつ》がたび重なるに
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