こうしょう》した。
 忠直卿は、与四郎の反抗によって、二重の歓びを得ていた。一つは、一個の人間として、他人から恨まれ殺されんとすることによって、初めて自分も人間の世界へ一歩踏み入れることが許されたように覚えたことである。もう一つは、家中において、打物取っては俊捷第一の噂ある与四郎が必死の匕首を、物の見事に取り押えたことであった。この勝負に、嘘や佯《いつわり》があろうとは思えなかった。彼は、久し振りに勝利の快感を、なんの疑惑なしに、楽しむことができた。忠直卿は、この頃から胸のうちに腐りついている鬱懐の一端が解け始めて、明かな光明を見たように思われた。
「ただこのままに、お手打ちを」と嘆願する与四郎は、なんのお咎めもなく下げられたばかりでなく、与四郎の妻も、即刻お暇を賜った。
 が、忠直卿のこの歓びも、決して長くは続かなかった。
 与四郎夫婦は、城中から下げられると、その夜、枕を並べて覚悟の自殺を遂げてしまった、なんのために死んだのか、確かにはわからなかったが、おそらく相伝の主君に刃《やいば》を向けたのを恥じたのと、かつは彼らの命を救った忠直卿の寛仁大度に、感激したためであろう。
 が、二
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