直卿は苦笑した。
「それでこそ、忠直の家臣じゃ。主と思うな。隙があれば、遠慮いたさず突け!」
 こういいながら、忠直卿は槍を扱《しご》いて二、三間後へ退りながら、位を取られた。
 左太夫も、真槍の鞘を払い、
「御免!」と叫びながら主君に立ち向った。
 一座の者は、凄まじい殺気に閉じられて、身の毛もよだち、息を詰めて、ただ茫然と主従の決闘を見守るばかりであった。
 忠直卿は、自分の本当の力量を如実にさえ知ることができれば、思い残すことはないとさえ、思い込んでいた。従って国主という自覚もなく、相手が臣下であるという考えもなく、ただ勇気凜然として立ち向われた。
 が、左太夫は、最初から覚悟をきめていた。三合ばかり槍を合すと、彼は忠直卿の槍を左の高股に受けて、どうと地響き打たせて、のけ様に倒れた。
 見物席の人々は一斉に深い溜息を洩した。左太夫の傷ついた身体は、同僚の誰彼によってたちまち運び去られた。
 が、忠直卿の心には、勝利の快感は少しもなかった。左太夫の負けが、昨日と同じく意識しての負けであることが、まざまざと分かったので、忠直卿の心は昨夜にもまして淋しかった。左太夫めは、命を賭してまで
前へ 次へ
全52ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング