「殿! お気が狂わせられたか。大切の御身をもって、みだりに剣戟《けんげき》を弄《もてあそ》ばれ家臣の者を傷つけられては、公儀に聞えても容易ならぬ儀でござる。平にお止り下されい」と、老眼をしばたたきながら、必死になって申し上げた。
「爺か! 止めだて無用じゃ。今日の真槍の仕合は、忠直六十七万石の家国に易《か》えてもと、思い立った一儀じゃ。止めだて一切無用じゃ」と、忠直卿は凜然といい放った。そこには秋霜のごとく犯しがたき威厳が伴った。こうした場合、これまでも忠直卿の意志は絶対のものであった。土佐は口を緘《つぐ》んだまま、悄然として引き退いた。
左太夫は、もう先刻から十分に覚悟をしていた。昨夜の立話が殿のお耳に入ったための御成敗かと思えば、彼にはなんとも文句のいいようはなかった。それは家来として当然受くべき成敗であった。それを、かかる真槍仕合にかこつけての成敗かと思えば、彼はそこに忠直卿の好意をさえ感ずるように思った。彼は主君の真槍に貫かれて潔く死にたいと思った。
「左太夫、いかにも真槍をもって、お相手をいたしまする」と、思い切っていった。見物席に左太夫の不遜に対する叱責の声が洩れた。忠
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