が、非道無残な振舞いは寸毫もなかったので、今日の忠直卿の振舞いを見て、家中の者が色を変じたのも無理ではなかった。
 が、忠直卿が今日真槍を手にしたのは、左太夫、右近に対する消し難い憎しみから出たとはいえ、一つには自分の正真の腕前を知りたいという希望もあった。真槍で立ち向うならば、彼らも無下に負けはしまい、秘術を尽くして立ち向うに違いない。さすれば自分の真の力量も分かる。もしそのために、自分が手を負うことがあっても、偽りの勝利に狂喜しているよりも、どれほど気持がよいか知れぬと、心のうちで思った。
「それ! 真槍の用意いたせ」と、忠直卿が命ずると、かねて用意してあったのだろう、小姓が二人、各々一本の大身の槍を重たそうにもたげて、忠直卿主従の間に持ち出した。
「それ! 左太夫用意せい!」といいながら、忠直卿は手馴れた三間柄の長槍の穂鞘を払った。
 槍鍛冶の名手、備後貞包《びんごさだかね》の鍛えた七寸に近い鋒先から迸《ほとばし》る殺気が、一座の人々の心を冷たく圧した。
 今まで、じっとして主君忠直の振舞いを看過していた国老の本多土佐は、主君が鋒先を払われるや否や突如として忠直卿の御前に出でた。
前へ 次へ
全52ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング