捨ててきた城中の大広間からは、雑然たる饗宴の叫びが洩れてくる。それも彼が座を立ってからは、一段と酒席が乱れたとみえ、吾妻拳を打つ掛声まで交って聞える。が、それもよほどの間隔があるので、そううるさくは耳に響いて来ない。
忠直卿は萩の中の小道を伝い、泉水の縁を回って小高い丘に在る四阿《あずまや》へと入った。そこからは信越の山々が、微かな月の光を含んでいる空気の中に、朧《おぼろ》に浮いて見える。忠直卿は、今までの大名生活においてまだ経験したことのないような感傷的な心持にとらわれて、思わずそこに小半刻を過した。
すると、ふと人声が聞える。今まで寂然として、虫の声のみが淋しかった所に人声が聞え出した。声の様子でみると、二人の人間が話しながら、四阿の方へ近よってくるらしい。
忠直脚は、今自分が享受している静寂な心持が、不意の侵入者によって掻き乱されるのが厭であった。
しかし、小姓をして、近寄って来る人間を追わしむるほど、今宵の彼の心は荒《すさ》んではいなかった。二人は話しながら、だんだん近づいて来る。四阿のうちへは月の光が射さぬので、そこに彼らの主君がいようとは、夢にも気付いていないらしい
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