ってしまった。一座を見ると、正体もなく酔い潰れている者が大分多くなっている。管をまく者もある、小声で隆達節《りゅうたつぶし》を唄っている者もある。酒宴の興は、ほとんど尽きかけている。
忠直卿はふと奥殿に漲《みなぎ》っている異性のことを思い出すと、男ばかりの酒宴が殺風景に思われて来た。彼はつと立って、
「皆の者許せ!」といい捨てたまま座を立った。さすがに酔い潰れた者も、居住いを正して平伏した。今まで眠りかけていた小姓たちは、はっと目をさまして主君の後を追った。
忠直卿が、奥殿へ続く長廊下へ出ると、冷たい初秋の風が頬に快かった。見ると、外は十日ばかりの薄月夜で、萩の花がほの白く咲きこぼれている辺から、虫の声さえ聞えて来る。
忠直卿は、庭へ下りてみたくなった。奥殿からの迎いの侍女たちを帰して、小姓を一人連れたまま、庭に下り立った。庭の面には、夜露がしっとりと降りている。微かな月光が、城下の街を玲瓏《れいろう》と澄み渡る夜の大気のうちに、墨絵のごとく浮ばせている。
忠直卿は、久し振りにこうした静寂の境に身を置くことを欣《よろこ》んだ。天地は寂然《じゃくねん》として静かである。ただ彼が見
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