と、譲吉が思わず嘆賞の言葉を洩すと、杉野は、
「何うだ、全盛だろう。」と、一寸《ちょっと》得意そうな顔をした。そして譲吉を可なりに羨《うらやま》しがらせた。
 が、冬が去り春が来ても、譲吉に大島は出来なかった。殊に、妊娠をして居る彼の妻の産期が、近づいて来るに従って、色々な出費が嵩《かさ》み、大島を買う事をあれほど強く主張した妻も、もう諦《あきら》めてしまったらしかった。三月に入ってから、彼の妻は到頭女の児を産んだ。譲吉は色々の出費で貯《たくわ》えの過半を費した。妻は猿のように赤い赤ん坊を抱きながら、
「もう親の衣物よりも、子の衣物をこさえなけりゃいけないわ。ねえ! 美奈子! お父さんにいい衣物を沢山こさえて貰《もら》うのね。」と、赤児に頬《ほお》ずりをしながら、譲吉に大島を買う事は、まるで忘れてしまって居るようであった。
 夫は、三月の半ば頃で、譲吉の妻が、肥立《ひだち》してから、まだ間もない日曜の事であった。その日は、全く冬が去り切ってしまったように、朝から朗かな日が照って居た。譲吉は、久し振りに暢然《のんびり》として一日を暮して見たいと思った。朝飯が済むと、彼は縁側に寝転《ねころ
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