に悲しんで居る人々と、社交上の義理で悲しみを装って居る人々との間に交って、譲吉は、自分一人の特有な悲しみを守って居た。
 殊に、夫人が仏教の信者であった為めに、仏教の形式主義《フォマリズム》が、飽く迄もこの悲しみの家を支配して居た。坊主が、眠むそうな声をして、阿弥陀経《あみだきょう》などを読み上げるたびに、譲吉は却《かえ》って自分の純な悲痛の感情が、傷《きずつ》けられるのを覚えた。殊に、初てのお通夜の晩に、菩提寺《ぼだいじ》の住職がお説教をしたが、その坊主は自分の説教に箔《はく》を附ける為か、英語を交じえたりした。
「刹那《せつな》即《すなわ》ちモーメントの出来事を……」と、云ったような言葉遣いが、譲吉の僧侶に対する反感を、一層強めた。殊にその坊主が、
「米国のロックフェラア曰《いわ》く『人生は死に向って不断に進軍|喇叭《らっぱ》を吹いて居る』と、遉《さすが》は米国の大学者丈あって、真理を道破して居るようです……」と云った時には、譲吉は馬鹿々々しくなって、席を脱《はず》した。恐らくこの男は詩人ロングフェロウの言葉を聞き囓《か》じって居たのを、大富豪ロックフェラアに結び附けて而もロックフ
前へ 次へ
全23ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング