けはない。内約的に栄転的転封を約したのであろう。
三月中旬に、大阪より青木一重、淀君の妹の常高院などが駿府に下り、家康に増封を請願しているのでも分る。大阪方では、集った諸浪人の扶持のために、ぜひとも増封が欲しかったのである。
つまり、大阪陣と云うのは、ある点からは、関ヶ原で失業した諸浪人の就職戦争であるから、媾和になった場合には、浪人の扶持問題が起るのは、当然なわけである。
此の増封を拒絶されて、四月五日に秀頼は、開戦を決している。
四月二十四日に、家康が大阪に遣した最後通牒は、次ぎの通りだ。
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一、秀頼の封邑《ほうゆう》中、去年の兵乱に摂津の百姓離散せるは疑うべからざるも、河内は然らず。(之は変だが、つまり秀頼よりの増封の要求の理由を反駁《はんばく》したのである)
二、媾和以後浪士は、速かに解放すべきに、却て多数の浪士を招集せしは何故ぞや。
三、城中戦備を整うるを以て、人心の動揺甚し、暫く大和郡山に移封あるべし。
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増封乃至は増封的転封を拒絶し、転封だけさせようと云うのであるから、大阪方が怒ってしまったのであ
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