の事があって、大いに気勢を挙げ、大阪方可なり強気であったが、家康天守閣、千畳敷などを砲撃して、秀頼母子を威嚇《いかく》し、結局の媾和条件は、次ぎの通りであった。
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一、城中新古将士の罪を問わざるべし。
二、本丸を除き二、三の丸の濠を埋《うず》むべし。
三、淀君質となるを得ざるを以て、有楽|治長《はるなが》質子《しちご》を出すべし。
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この媾和条約違反から、夏の陣が起るのであるが、惣堀だけを潰す約束であったのに、二の丸三の丸の堀まで潰したので、大阪方が憤慨したと云う説、いや初めから二の丸三の丸を潰すことを大阪方も認めていたと云う説もあって、決しがたい。濠の問題以外に、家康は大阪方の浪人を扶持するに対して「|悉被[#二]相払[#一]《ことごとくあいはらわれ》」と要求したばかりか、古参の衆まで逐《お》わしめんとしたと云う。
然し、夏の陣の開戦の直接原因は、秀頼の転封問題である。冬の陣の媾和の時に、転封問題はあったのであるが、それは増封の伴った転封であったのであろう。大阪方で転封と云うことがなければ、大事の城の濠を潰させるわ
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