よって、自殺だけはできる。
ともかく、京都によき身投げ場所のなかったことは事実である。しかし人々はこの不便を忍んで自殺をしてきたのである。適当な身投げ場所のないために、自殺者の比例が江戸や大阪などに比べて小であったとは思われない。
明治になって、槇村京都府知事が疏水《そすい》工事を起して、琵琶湖の水を京に引いてきた。この工事は京都の市民によき水運を備え、よき水道を備えると共に、またよき身投げ場所を与えることであった。
疏水は幅十間ぐらいではあるが、自殺の場所としてはかなりよいところである。どんな人でも、深い海の底などでふわふわして、魚などにつつかれている自分の死体のことを考えてみると、あまりいい心持はしない。たとえ死んでも、適当な時間に見つけ出されて、葬《とむらい》をしてもらいたい心がある。それには疏水は絶好な場所である。蹴上《けあげ》から二条を通って鴨川の縁《へり》を伝い、伏見へ流れ落ちるのであるが、どこでも一丈ぐらい深さがあり、水が奇麗である。それに両岸に柳が植えられて、夜は蒼いガスの光が煙《けむ》っている。先斗町《ぽんとちょう》あたりの絃歌の声が、鴨川を渡ってきこえてくる。
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