え、別に騎馬の使を立てて、馬を替えつつ急報した。自らは、城濠を深くして、死守の決心をなした。
 予《かね》て、かくあるべしと待ちかねていた信玄は、その報をきくと南信の諸将に軍勢を催促しつつ、十八日に甲府を立ち、二十二日には上田に到着している。その兵を用うる正に「疾きこと風の如し」である。
 そして、上田に於て、軍議をこらして、川中島に兵を進めるや、これまた謙信に劣らざる大胆さで、謙信の陣所たる妻女山の西方を素通りして、その西北方の茶臼山に陣した。
 謙信が、海津城を尻目にかけ、わざと敵中深く入ると、信玄はまたそれを尻目にかけて、敵の退路を断ってしまったわけである。
 実に痛快極まる両将の応酬ぶりである。
 かくて、謙信は、自ら好んで嚢《ふくろ》の鼠となったようなものである。信玄大いに喜び、斥候を放って、妻女山の陣営を窺わせると、小鼓《こつづみ》を打って謡曲『八島』を謡っている。信玄案に相違して、諸方に斥候を放つと、旭山城に謙信の伏兵あるを知り、茶臼山の陣を撤して海津城に入った。自分の方が、妻女山と旭山城との敵軍に挾撃される事を心配したのかも知れない。
 かくて、信玄は海津城に謙信は妻女
前へ 次へ
全28ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング