敵にも敵の堅城たる海津城の後方をグルリと廻り、海津城の西方十八町にある妻女山(西条山ともかく)に向った。北国街道の一軍は、善光寺近くの旭山城に一部隊を残し、善光寺から川中島を南進し、海津城の前面を悠々通って妻女山に到着した。
甲の名将|高坂《こうさか》弾正昌信の守る堅城の前後を会釈もなく通って、敵地深く侵入して妻女山に占拠したわけである。正に大胆不敵の振舞で敵も味方も驚いた。しかし妻女山たる、巧みに海津城の防禦正面を避け、その側背を脅かしている好位置で、戦術上地形判断の妙を極めたものであるらしい。凡将ならば千曲川の左岸に陣取って、海津城にかかって行ったに違いないのである。
『越後軍紀』に「信玄西条山へ寄せて来て攻むるときは、彼が陣形常々の守《まもり》を失ふべし、その時無二の一戦を遂げて勝負すべし」とある。
八月十六日妻女山に着いた謙信は、日頃尊信する毘沙門天《びしゃもんてん》の毘の一字を書いた旗と竜の一字をかいた旗とを秋風に翻して、海津の高坂昌信を威圧したわけである。竜字の旗は突撃に用いられ「みだれ懸りの竜の旗」と云われた。
海津城の高坂昌信は、狼烟《のろし》に依って急を甲府に伝
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