相州長尾の荘に居たので、長尾氏と称した。先祖が、関東から上杉氏に随従して越後に来り、その重臣となり、上杉氏衰うるに及んで勢力を得、謙信の父|為景《ためかげ》に及んで国内を圧した。為景死し、兄晴景継いだが、病弱で国内の群雄すら圧服することが出来ないので、弟謙信わずかに十四歳にして戦陣に出で、十九歳にして長尾家を相続し、春日山城に拠《よ》り国内を鎮定し、威名を振った。
 しかし、謙信が上杉氏と称したのは、越後の上杉氏の嗣となったのではなくして、関東管領山ノ内上杉家を継いだのである。即ち三十二歳の時、山ノ内|憲政《のりまさ》から頼まれて、関東管領職を譲られ、上杉氏と称したのである。
 その責任上、永禄三年兵を関東平野に進め、関東の諸大名を威服し、永禄四年に北条|氏康《うじやす》を小田原城に囲んで、その城濠|蓮池《はすいけ》のほとりで、馬から降り、城兵が鉄砲で狙《ねら》い打つにも拘らず、悠々閑々として牀几《しょうぎ》に腰かけ、お茶を三杯まで飲んだ。
 謙信も亦、信玄に劣らぬ文武兼備の大将で、文芸の趣昧ふかく、詩にはおなじみの、
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|霜満[#二]軍営[#一]《しもはぐんえい
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