て、相手の騎馬武者を突いたがはずれ、その槍は馬の三頭《さんず》(背すじの後部)をしたたか突いたので、馬はおどろいてかけ出したので、信玄は虎口を逃れた。例の『五戦記』では、この騎馬武者を誰とも知らず越後の荒川伊豆守なるべしと取沙汰したが、それを「政虎聞キ候テ可討留《うちとどむべき》物ヲ残リ多シト皆ニ|申《もうし》候|由《よし》」とある。戦国の世激戦多しと雖も未だ主将が武器をとって一騎討したという例は、多くはないようである。信玄は、その後も神色自若、孫子の旗と法性の旗をかざして牀几を動かず何事もなかりしが如く軍配をふって指揮したと云うが、あまりそうでもなかっただろう(後団扇を検したところ八個所の痕《あと》があったというからよほど何回かうちおろしているわけである)。原大隅守は殊勲の槍を高くあげて、「今妻女山より味方の先手衆駈けつけたぞ、戦いは味方の勝ちぞ」と叫びまわった。信玄の落着き振りと、この機宜の処置とは将《まさ》に崩れかかった味方に百倍の勇気を与えた。この時の有様を『甲陽軍鑑』に、
「敵味方三千七百の人数入り乱れて突いつ突かれつ伐つ伐たれつ互に具足の綿噛《わたが》みを取り合ひ組んで転ぶ
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