ここに山県隊の一部が典厩隊を援けたため、柿崎隊も後退のやむなきにいたった。又前方で新発田隊と穴山隊の混戦があったが、穴山隊も死力をつくして激戦した。この時越の本庄、安田、長尾隊は甲の両角、内藤隊と甲軍の右翼で接戦し、甲軍の死傷漸く多く、隊長両角豊後守虎定は今はこれまでと桶皮胴の大鎧に火焔頭《かえんがしら》の兜勇ましく逞しき葦毛《あしげ》に跨り、大身の槍をうちふって阿修羅の如く越兵をなぎたおしたが、槍折れ力つきて討死した。
ここに於て両角、内藤隊が後退し、柿崎隊と山吉隊は協力して甲の猛将山県隊を打ち退けたので、信玄の旗本の正面が間隙を生じた。謙信はこれをみてとり、その旗本を鶴翼《かくよく》の陣、即ち横にひろがる隊形に展開して、八幡原の信玄の旗本めがけて槍刀を揮って突撃した。その勢三千、謙信の旗本も、猛然之をむかえて邀撃し、右の方望月隊及び信玄の嫡子太郎義信の隊も、左備《ひだりそなえ》の原|隼人《はやと》、武田逍遙軒も来援して両軍旗本の大接戦となった。
これより先山本勘助晴幸は、今度の作戦の失敗の責任を思い、六十三歳の老齢を以て坊主頭へ白布で鉢巻きをなし、黒糸縅しの鎧を着、糟毛《か
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