が、おちついた信玄の命令にしたがって勇躍敵にあたった。信玄は陣形を十二段に構え、迂廻軍の到着迄持ちこたえる策をとり、百足《むかで》の指物差した使番衆を諸隊に走らせて、諸隊その位置をなるべく保つようにと、厳命した。
 柿崎隊と典厩隊との白兵戦は川中島の静寂を破り、突き合う槍の響き、切り結ぶ太刀の音凄じく、剣槍の閃《ひらめ》きが悽愴《せいそう》を極めた。柿崎隊は新手を入れかえ入れかえ無二無三につき進み切り立てたため、さしもの典厩隊も苦戦となり隊伍次第に乱れるにいたった。この日、典厩信繁は、黄金《こがね》作りの武田|菱《びし》の前立《まえだて》打ったる兜をいただき、黒糸に緋を打ちまぜて縅《おど》した鎧を着、紺地の母衣《ほろ》に金にて経文を書いたのを負い、鹿毛《かげ》の馬に跨《またが》り采配を振って激励したが、形勢非となったので憤然として母衣を脱して家来にわたし、わが子信豊に与えて遺物《かたみ》となし、兜の忍《しのび》の緒をきって三尺の大刀をうちふり、群がり来る越兵をきりすて薙たおし、鬼神の如く戦ったが、刀折れ力つきて討死した。とにかく、信玄の弟が戦死する騒ぎであるからその苦戦察すべしである。
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