さる。尤も日短き故|夜更《よふ》けに御立あるやも知れず
二、静粛に行進して途中敵兵之を遮《さえぎ》らば切りやぶって善光寺へ向うと心得べし
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と伝えられた。
九日の月の西山に没するや(十一時頃か)、上杉軍は静に行動を起した。兵は物言わず馬は舌を縛して嘶《いなな》くを得ざらしめた。全軍粛々妻女山をくだり其状長蛇の山を出づるが如くして狗《いぬ》ヶ瀬をわたった。時正に深更夜色沈々只鳴るものは鎧の草摺のかすかな音のみである。只、甘粕近江守は妻女山の北赤坂山に止り、後押として敵を警戒しつつ、十二ヶ瀬を渡って小森附近に止った。一方妻女山には陣中の篝火《かがりび》は平常通りにやかれつづけ、紙の擬旗が夜空に、無数にひるがえっていた。
かくて十日の午前二時半頃越軍は犀川の南方に東面して陣取り、剛勇無比の柿崎和泉守を先陣に大将謙信は毘字旗と日の丸の旗を陣頭に押し立てて第二陣に控えて、決戦の朝《あした》を待った。ただ小荷駄の直江大和守は北国街道を北進して犀川を小市《こいち》の渡《わたし》にて渡り善光寺へと退却せしめた。甘粕隊は遠く南方小森に於て妻女山から来るべき敵に備えた。時に川
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