た。
 この使者の往来しつつある猶予を見つけたのが、越前方の監使榊原飛騨守である。飛騨守は「今こそ攻めるべし、遅るれば必ず後より追撃されん」と忠直卿に言上した。
 忠直卿早速、舎弟伊予守忠昌、出羽守直次をして左右両軍を連ねさせ、二万余騎を以て押し寄せたが、幸村は今暫く待って戦わんと、待味方《まちみかた》の備をもって、これに当っていた。
 すると、意外にも、本多忠政、松平忠明等、渡辺大谷などの備を遮二無二切崩して真田が陣へ駆け込んで来た。また水野勝成等も、昨日の敗を報いんものと、勝曼院の西の方から六百人許り、鬨を揚げて攻寄せて来た。幸村は、遂に三方から敵を受けたのである。
「最早これまでなり」と意を決して、冑の忍の緒を増花形《ますはながた》に結び――これは討死の時の結びようである――馬の上にて鎧の上帯を締め、秀頼公より賜った緋縮緬《ひぢりめん》の陣羽織をさっと着流して、金の采配をおっ取って敵に向ったと言う。
 三方の寄手合せて三万五千人、真田勢僅かに二千余人、しかも、寄手の戦績はかばかしく上らないので、家康は気を揉《も》んで、稲富喜三郎、田付《たづけ》兵庫等をして鉄砲の者を召連れて、越前
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