頼が助命されるような事があらば、大助をも一度は世に出したいと云う親心が、うごいていたと思う。前に書いた原隼人との会合の時にも「伜に、一度も人らしい事をさせないで殺すのが残念だ」と述懐している。こう云う親心が、うごいている点こそ、却って幸村の人格のゆかしさを偲《しの》ばしめると思う。
[#7字下げ]幸村の最期[#「幸村の最期」は中見出し]
幸村の最期の戦いは、越前勢の大軍を真向に受けて開始された。
幸村は、屡々《しばしば》越前勢をなやましつつ、天王寺と一心寺との間の竜《たつ》の丸に備えて士卒に、兵糧を使わせた。
幸村はここで一先ず息を抜いて、その暇に、明石|掃部助全登《かもんのすけなりとよ》をして今宮表より阿部野へ廻らせて、大御所の本陣を後《うしろ》より衝かせんとしたが、この計画は、松平武蔵守の軍勢にはばまれて着々と運ばなかった。
そこで、幸村は毛利勝永と議して、愈々秀頼公の御出馬を乞うことに決した。秀頼公が御旗《おんはた》御馬印を、玉造口まで押出させ、寄手の勢力を割いて明石が軍を目的地に進ましめることを計った。真田の穴山小助、毛利の古林一平次等が、その緊急の使者に城中へ走っ
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