た、よく見れば、旗の隅に細字で、小さく「棄旗」と書いてあった。「実に武略の人よ」と家康は、讃嘆したとあるが、これは些《いささ》かテレ隠しであったろう。
寄手の軍が、こんな朱敗を重ねてぐずぐずしている間に、幸村は軍を勝曼院の前から石之華《いしのはな》表の西迄三隊に備え、旗馬印を竜粧《りゅうしょう》に押立てていた。
殺気天を衝き、黒雲の巻上るが如し、という概があった。
陽《ひ》も上るに及んで、愈々合戦の開かれんとする時、幸村は一子大助を呼んで、「汝は城に還りて、君が御生害《ごしょうがい》を見届け後果つべし」と言った。が、大助は「そのことは譜代の近習にまかせて置けばよいではないか」と、仲々聴かなかった。そして、「あく迄父の最期を見届けたい」と言うのをなだめ賺《すか》して、やっと城中に帰らせた。
幸村は、大助の背姿《うしろすがた》を見、「昨日|誉田《ほんだ》にて痛手を負いしが、よわる体《てい》も見えず、あの分なら最後に人にも笑われじ、心安し」と言って、涙したという。
時人、この別れを桜井駅に比している。幸村は、なぜ、大助を城に返して、秀頼の最後を見届けさせたか。その心の底には、もし秀
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