夜がほのぼのと明け始めた。そこで東の門を覗ってみると、内は森閑として、人の気配もなかった。何のことだ、と言い合いつつ、東の門を開いて味方を通そうとしている所へ、越前勢の先手がやっとのことで押し寄せて来た。
 大和川に流された吉田修理亮に代って、本多飛騨守、松平壱岐守等以下の二千余騎である。
 が、石川宮木等は、これを真田勢の来襲と思い違い、凄まじい同志討がここに始まった。
 石川宮木等が葵《あおい》の紋に気付いた時は、既に手の下しようのない烈しい戦いになっていた。ようやくのことで、彼等が、胄を取り、大地にひざまずいたので、越前勢も鎮《しず》まった。
 しかし、こんな不始末が大御所に知れてはどんなことになるかも知れない、とあって、彼等は、その場を繕うために、雑兵の首十三ほどを切取り、そこにあった真田の旗を証拠として附けて、家康に差出した。
 家康いたく喜ばれ「真田ほどの者が旗を棄てたるはよくよくのことよ」と御褒めになり、その旗を家宝にせよとて、傍《かたわら》の尾張義直卿に進ぜられた。
 義直卿は、おし頂いてその旗をよく見たが、顔色変り「これは家宝にはなりませぬ」と言う。
 家康もま
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