勢の傍より真田勢を釣瓶打《つるべうち》にすべしと命じた位である。
真田勢の死闘の程思うべしである。
幸村は、三つの深手を負ったところへ、この鉄砲組の弾が左の首摺《くびずり》の間に中《あた》ったので、既に落馬せんとして、鞍の前輪に取付き差うつむくところを、忠直卿の家士西尾|仁右衛門《にえもん》が鎗で突いたので、幸村はドウと馬から落ちた。
西尾は、その首を取ったが、誰とも知らずに居たが、後にその胄が、嘗《かつ》て原隼人に話したところのものであり、口を開いてみると、前歯が二本|闕《か》けていたので、正しく幸村が首級と分ったわけである。
西尾は才覚なき士で、その時太刀を取って帰らなかったので、太刀は、後に越前家の斎藤勘四郎が、これを得て帰った。
幸村の首級と太刀とは、後に兄の伊豆守信幸に賜ったので、信幸は二男内記をして首級は高野山天徳院に葬らしめ、太刀は、自ら取って、真田家の家宝としたと言う。
この役に、関西方に附いた真田家の一族は、尽《ことごと》く戦死した。甥幸綱、幸堯《ゆきたか》等は幸村と同じ戦場で斃《たお》れた。
一子大助は、城中において、秀頼公の最期間近く自刃して果て、父
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