ろいろの意地が重なっているのである。でないとした所が、今になって武士たるものが、心を動かすべき筈はないのである。
豊臣家譜代の連中が、関東方に附いて城攻に加っているのに、譜代の臣でもない幸村が、断乎《だんこ》大阪方に殉じているなど会心の事ではないか。なお、これは余談だが、大阪方についた譜代の臣の中で片桐且元など殊にいけない。
坪内逍遙博士の『桐一葉』など見ると、且元という人物は極めて深謀遠慮の士で、秀吉亡き後の東西の感情融和に、反間苦肉の策をめぐらしていたように書いてあるが、嘘である。
『駿府記』など見ると、且元、秀頼の勘気に触れて、大阪城退出後、京都二条の家康の陣屋にまかり出で、御前で、藤堂高虎と大阪|攻口《せめぐち》を絵図をもって、謀議したりしている。
また、冬の陣の当初、大阪方が堺に押し寄せた時、且元、手兵を派して、堺を助け、大御所への忠節を見せた、など『本光国師日記』に見えている。
且元のこうした忌《いまわ》しい行動は、当時の心ある大阪の民衆に極度の反感を起さしめた。何某《なにがし》といえる侠客の徒輩が、遂に立って且元を襲い、その兵百人ばかりを殺害したという話がある。
前へ
次へ
全31ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング