せんとし、幸村の叔父隠岐守|信尹《のぶただ》を使として「信州にて三万石をやるから」と言って、味方になることを、勧めさせた。
幸村は、出丸の外に、叔父信尹を迎えて、絶えて久しい対面をしたが、徳川家に附く事だけはきっぱり断った。
信尹はやむなく引返して、家康にその由を伝えると、家康は「では信濃一国を宛行《あておこな》わん間|如何《いか》にと重ねて尋ねて参れ」と言った。信尹、再び幸村に対面してかく言うと、「信濃一国は申すに及ばず、天下に天下を添えて賜るとも、秀頼公に背《そむ》きて不義は仕《つかまつ》らじ。重ねてかかる使をせられなば存ずる旨あり」と、断平として言って、追返した。
『常山紀談』の著者などは、この場合、幸村がかくも豊臣家のために義理を立通そうとしたのは、必ずしも、道にかなえり、とは言うべからずと言っている。
「豊臣家は真田数世の君に非ず、若し、君に不背《そむかず》の義を論ぜば、武田家亡びて後世をすてゝ山中にかくれずばいかにかあるべき」
など評している。
が、幸村としてみれば、豊臣家には父昌幸以来の恩義があると共に、徳川家に対しては、前に書いておいた如く、矢張り父昌幸以来のい
前へ
次へ
全31ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング