ひ返されることは余りに判り切つてゐる。
信一郎は、夫人の張る蜘蛛の網にかゝつた蝶か何かのやうに、手もなく丸め込まれ、肝心な時計を体よく、捲き上げられたやうに思はれた。彼は、自分の腑甲斐なさが、口惜しく思はれて来た。
彼の手を離れても、謎の時計は、やつぱり謎の尾を引いてゐる。彼は何うかして、その謎を解きたいと思つた。
その時にふと、彼は青年が海に捨つるべく彼に委託したノートのことを思ひ出したのである。
六
青年から、海へ捨てるやうに頼まれたノートを、信一郎はまだトランクの裡に、持つてゐた。海に捨てる機会を失《なく》したので、焼かうか裂かうかと思ひながら、ついその儘になつてゐたのである。
それを、今になつて披いて見ることは、死者に済まないことには違《ちがひ》なかつた。が、時計の謎を知るためには、――それと同時に瑠璃子夫人の態度の謎を解くためには、ノートを見ることより外に、何の手段も思ひ浮ばなかつた。あんな秘密な時計をさへ、自分には託したのだ、その時計の本当の持主を知るために、ノートを見る位は、許して呉れるだらうと、信一郎は思つた。
でも家に帰つて、まだ旅行か
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