てお返しになりたかつたのでは、ございませんかしら。」
 夫人は、明瞭に流暢に、何のよどみもなく云つた。が、何処となく力なく空々しいところがあつたが、信一郎は夫人の云ふことを疑ふ確《たしか》な証拠は、少しもなかつた。
「私も、多分さうした品物だらうとは思つてゐたのです。それでは、早速その令嬢にお返ししたいと思ひますが、御名前を教へていたゞけませんでせうか。」
「左様でございますね。」と、夫人は首を傾《かし》げたが、直ぐ「私を信用していたゞけませんでせうか、私が、女同士で、そつと返して上げたいと思ひますのよ。男の方の手からだと、どんなに恥しくお思ひになるか分らないと、存じますのよ。いかゞ?」と、承諾を求めるやうに、ニツコリと笑つた。華やかな艶美な微笑だつた。さう云はれると、信一郎はそれ以上、かれこれ言ふことは出来なかつた。兎に角、謎の品物が思つたより容易に、持主に返されることを、欣ぶより外はなかつた。
「ぢや、貴女《あなた》さまのお手でお返し下さいませ。が、その方のお名前|丈《だけ》は、承ることが出来ませんでせうか。貴方さまを、お疑ひ申す訳では決してないのでございますが。」と、信一郎はオヅ
前へ 次へ
全625ページ中76ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング