うに慇懃だつた。が、夫人は卓上に置いてあつた支那製の団扇《うちわ》を取つて、煽ぐともなく動かしながら、
「ホヽヽ何のお話か知りませんが大層面白くなりさうでございますのね。まあ話して下さいまし。人違ひでございましたにしろ、お聞きいたしただけ聞き徳でございますから。」と、微笑を含みながら云つた。
 信一郎は、夫人の真面目とも不真面目とも付かぬ態度に揶揄れたやうに、まごつきながら云つた。
「実は、私は青木君のお友達ではありません。只偶然、同じ自動車に乗り合はしたものです。そして青木君の臨終に居合せたものです。」
「ほゝう貴君《あなた》さまが……」
 さう云つた夫人の顔は、遉《さすが》に緊張した。が、夫人は自分で、それに気が付くと、直ぐ身を躱《かは》すやうに、以前の無関心な態度に帰らうとした。
「さう! まあ何と云ふ奇縁でございませう。」
 その美しい眼を大きく刮《ひら》きながら、努めて何気なく云はうとしたが、その言葉には、何となく、あるこだはりがあるやうに思はれた。
「それで、実は青木君の死際の遺言を聴いたのです。」
 信一郎は、夫人の示した僅かばかりの動揺に力を得て突つ込むやうにさう言つた
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