が悪かつたやうな表情は少しも見せなかつた。あの葬場でも、それを思ひ出してゐる今も。若い美しい夫人の何処に、さうした大胆な、人を人とも思はないやうな強い所があるのかと、信一郎はたゞ呆気に取られてゐる丈《だけ》であつた。先刻からの容子を見ると、信一郎が何のために、訪ねて来てゐるかなどと云ふことは、丸切り夫人の念頭にないやうだつた。信一郎の方も、訪ねて来た用向をどう切り出してよいか、途方にくれた。が、彼は漸く心を定めて、オヅ/\話し出した。
「実は、今日伺ひましたのは、死んだ青木君の事に就てでございますが……」
さう云つて、彼は改めて夫人の顔を見直した。夫人が、それに対してどんな表情をするかゞ、見たかつたのである。が、夫人は無雑作だつた。
「さう/\取次の者が、そんなことを申してをりました。青木さんの事つて、何でございますの?」
帝劇で見た芝居の噂話をでもしてゐるやうに夫人の態度は平静だつた。
「実は、貴女《あなた》さまにこんなことをお話しすべき筋であるかどうか、それさへ私には分らないのです、もし、人違《ひとちがひ》だつたら、何《ど》うか御免下さい。」
信一郎は、女王の前に出た騎士のや
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