める外はなかつた。
「奥さん、貴女《あなた》は何を仰しやるのです。貴女は、お約束をお忘れになつたのですか。あれほど僕がお願ひしたお約束をお忘れになつたのですか。」
美奈子が、真中にゐることも、もうスツカリ忘れたやうに、青年は我を忘れて激昂した。興奮に湧き立つた温かい呼吸《いき》が、美奈子の冷い頬に、吐き付けられた。
「お約束? お約束を忘れないからこそ、今夜お返事すると云つてゐるのぢやありませんか。」
「何! 何! 何と仰しやるのです。」
青年はスツクと立ち上つた。もう美奈子を隔てゝ、話をするほどの余裕もなくなつたのであらう、彼は、烈しく瑠璃子の前に詰めよつた。
美奈子は、浅ましい恐ろしい物を見たやうに、面《おもて》を伏せてしまつた。
「奥さん! 貴女《あなた》は、貴女は何を仰しやるのです。僕! 僕! 僕が、一昨夜申上げたこと、あのお返事を今、なさらうとするのですか。あの、あのお返事を!」
激しい興奮のために、彼の身体は顫へ、彼の声は裂け、彼の言葉は咽喉にからんで、容易には出て来なかつた。
「まあ! お坐りなさい! さう、貴君《あなた》のやうに興奮なさつては、話が、ちつとも分ら
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