失礼します。」
 それが、青年の精一杯の反抗であつた。青年の顔は、今蒼白に変じ、彼の言葉は、激昂のために、顫へた。
「何故?」瑠璃子は詰問するやうに云つた。
「何故いらつしやらない。だつて、貴君は先刻《さつき》食堂で、今夜は強羅まで行かうと仰しやつたのぢやないの。今になつて、よさうなんて、それぢや故意に、妾《わたし》達の感情を害しようとなさつてゐるのだわ。」
 青年は、唇をブル/\顫はした。が、美奈子の前では、彼は一言も、本当の抗議は云へなかつた。
『貴女は約束と違ふぢやありませんか。なぜ、美奈子さんをお連れになるのです。』それが、青年の心に、沸々《ふつ/\》と湧き立つてゐる云ひ分であつた。が、それを、何うして美奈子の前で口にすることが出来るだらう。
 青年の、籐椅子の腕に置いてゐる手が、わなわな顫へるのに、美奈子は、先刻から気が付いてゐた。
 母の皮肉な逆な態度が、どんなに青年の心を虐げてゐるかが、美奈子にもよく判つた。美奈子は、もう一度、青年を救つてやりたいと思つた。
「妾《わたくし》やつぱり、図書室へ参りますわ。今日急に、お関所の歴史が知りたくなりましたの。」

        
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