君《あなた》方と話してゐた婦人の方ですね。」と云ふと、青年は直ぐ訊き返した。
「あの自動車で、帰つた人ですか。あの人が何うかしたのですか。」
信一郎は少しドギマギした。が、彼は訊き続けた。
「いや、何《ど》うもしないのですが、あの方は何と仰《おつ》しやる方でせう。」
学生は、一寸信一郎を憫れむやうな微笑を浮べた。ホンの瞬間だつたけれども、それは知るべきものを知つてゐない者に見せる憫れみの微笑だつた。
「あれが、有名な荘田夫人ですよ。御存じなかつたのですか。曾《かつ》て司法大臣をした事のある唐沢男爵の娘ですよ。唐沢さんと云へば、青木君のお父様と、同じ団体に属してゐる貴族院の老政治家ですよ。お父様同士の関係で、青木君とは近しかつたんです。」
さう云はれて見ると、信一郎も、荘田夫人なるものゝ写真や消息を婦人雑誌や新聞の婦人欄で幾度も見たことを思ひ出した。が、それに対して、何の注意も払つてゐなかつたので、その名前は何うしても想ひ浮ばなかつた。が、此の場合名前まで訊くことが、可なり変に思はれたが、信一郎は思ひ切つて訊ねた。
「お名前は、確か何とか云はれたですね。」
「瑠璃子ですよ、我々は、
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