なかつた。彼は、最初から誘はなければよかつたと思ひながら、一寸気まづい思ひで、部屋を出た。
青年が、部屋を出る後姿を見ると、美奈子は取返しの付かないことをしたやうに思つた。もう再びとは、得がたい黄金の如き機会を、永久に失ふやうな心持がした。その上、青年の勧めに、返事さへしなかつたことが、彼女の心を咎め初めた。それに依つて、相手の心を少しでも傷けはしなかつたかと思ふと、彼女は立つても坐つても、ゐられないやうな心持がし初めた。
一二分、考へた末、彼女は到頭堪らなくなつて部屋を出た。長い廊下を急ぎ足に馳けすぎた。ホテルの玄関で、草履を穿くと、夏の宵闇の戸外へ、走り出でた。
玄関前の広場にある噴水のほとりを、透して見たけれども、その人らしい影は見えなかつた。彼女は、到頭宮の下の通《とほり》に出た。
青年の行く道は、分つてゐた。彼女は、胸を躍らしながら、底倉の方へと急いだ。
温泉町《いでゆまち》の夏の夕は、可なり人通が多かつた。その人かと思つて近づいて行くと、見知らない若い人であつたりした。
が、美奈子が宮の下の賑やかな通《とほり》を出はづれて、段々淋しい崖上の道へ来かゝつたとき、丁
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