ドをしてゐたのをスツカリ忘れてゐた。向うでは此方《こつち》の顔|丈《だけ》を覚えてゐて呉れたのだ。さう思ふと、美奈子は兄妹に対して一入《ひとしほ》なつかしい心が湧いて来た。

        四

 少女の顔|丈《だけ》は、やつと思ひ出したけれども、名前は何《ど》うしても思ひ出せなかつた。家へ帰つてからも、美奈子は、お茶の水にゐた頃の校友会雑誌の『校報』などを拡げて、それらしい名前を、思ひ出さうとしたけれども、やつぱり徒爾《むだ》だつた。
 自分ながら、何うしてあの兄妹に、不思議に心を惹かされるのか、美奈子には分らなかつた。が、兄の方の白い横顔や、妹の会釈した時の微笑などが何うしても忘れられなかつた。自分にも、あんなに親しい兄があつたら、兄の勝彦が、もう少し普通の人間であつたら、などと取り止めもないことを、考へながら、やつぱり忘れられないのは、一目顔を見合はせた丈《だけ》の兄妹だつた。否、本当に忘れられないのは、兄の方一人|丈《だけ》だつたかも知れない。たゞ兄を想ひ出すごとに、妹は影の形に伴ふごとく、彼女の記憶の裡に、甦つて来るのかも知れなかつた。異性の兄の方|丈《だけ》を考へることは
前へ 次へ
全625ページ中459ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング