人の自分に対する烈しい憎悪に傷きながら、しかも勇敢に彼の陣地を支へた。
「いや、大変お手間を取らして相済みません。が、もう一言、さうです、青木君の言伝があるのです。時計の元の持主にかう伝へて呉れと頼まれたのです。」
信一郎は、さう云つて言葉を切つた。
夫人は遉《さすが》に、緊張した。やさしく烟つてゐる眉を、一寸|顰《しか》めながら、信一郎が何を云ひ出すかを待つてゐるやうだつた。
彼女の云分
一
遺言と云つても、信一郎は青木淳の口づから受けてゐるのではない。が、彼は青木淳の死前の恨《うらみ》の籠つたノートを受け継いでゐる。
『彼女の僅かに残つてゐる良心を恥かしめてやる』べき、以心伝心の遺託を、受けてゐるのだつた。
「いや、遺言と云つても、外ではありません。この時計を返すときに元の持主にかう云つて呉れと頼まれたのです。青木君が瀕死の重傷に苦しみながら、途切れ/\に云つたことですから、ハツキリとは分りませんが、何でもかう云ふ意味だつたと思ふのです。純真な男性の感情を弄ぶことがどんなに危険であるかを伝へて呉れ。弄ぶ女に取つては、それは一時の戯れであるかも知れぬが
前へ
次へ
全625ページ中430ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
菊池 寛 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング