鈴《ベル》を押した。
 二人は、黙々として、暫らく相対してゐる裡に、以前の小間使が、扉《ドア》を静《しづか》に開けた。
「あのね。応接室の、確か炉棚《マンテルピース》の上の手文庫の中だつたと思ふのだがね。壊れた時計がある筈だから持つて来て下さいね。若し手文庫の中になかつたら、あの辺を探して御覧! 確かあの近所に放り散かして置いた筈だから。」
 信一郎が、あれほどまでに、心を労してゐた時計を、夫人は壊れた玩具か何かのやうに、放りぱなしにしてゐたのだつた。青木淳が臨終にあれほどの恨《うらみ》を籠めた筈の時計は、夫人に依つて、意味のない一箇の壊れ時計として、炉棚《マンテルピース》の上に、信一郎から預かつた時以来忘れられてゐたのである。
 夫人から、そんなにまで手軽く扱はれてゐる品物に就いて、返すとか返さないとか、躍起になつてゐることが、信一郎には一寸気恥しいことのやうに思はれた。
 が、夫人のあゝした言葉や態度は、心にもない豪語であり、擬勢である、口先でこそあんなことを云ひながらも、彼女にも人間らしい心が、少しでも残つてゐる以上、心の中では可なり良心の苛責を受けてゐるのに違《ちがひ》ない。信
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