だつた。
「貴女に申し上ぐべきこと、当然お願ひすべき用事があればこそ参つたのです。それが済むまでは、貴女が幾ら帰れと仰しやつたつて、帰れません。貴女も一度僕と会つた以上、自分の用事丈が、済んだと云つて、さう手軽に僕を追ひ返す権利はありません。」
「大変御尤もな仰せです。それではその用事とかを承はらうぢやありませんか。」
夫人の皮肉な態度は突き刺すやうなトゲ/\しさを帯び初めた。
七
夫人の皮肉なトゲに、突き刺されながらも、信一郎は、やつと自分自身を支へることが出来た。
「用事と云つて、外ではありませんが、いつか貴女にお預けして置いたあの白金《プラチナ》の時計を、返していたゞきたいと思ふのです。死んだ青木君から遺託を受けたあの時計をです。」
信一郎は、一生懸命だつた。彼は、身体が激昂のために、わなゝかうとするのをやつと、抑へながら喋べつた。が、その声は変に咽喉にからんでしまつた。
夫人の冷たさは、愈々《いよ/\》加はつた。その美しい面は、象牙で彫んだ仮面か何かのやうに、冷たく光つてゐた。『何を!』と、云つたやうな利かぬ気の表情が、その小さい真赤な唇のあたりに動
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