のだつた。
四
『信一郎、|わが恋人《マイラヴ》よ!』
信一郎の頭は、この短い文句でスツカリ掻き擾《みだ》されてしまつた。彼は十七八の少年か何かのやうに、我にも非ず、頬が熱くほてるのを感じた。夫人に対して、張り詰めてゐた心持が、ともすれば揺ぎ始めようとする。
彼は、心の中で幾度も叫んだ。夫人の技巧の一つだ。誘惑の技巧の一つだ。自分の眼に入るやうに、わざとこんな文句を、書き散して置いたのだ。見え透いた技巧なのだ! が、さう云ふ考への後から、又別な考へが浮んで来た。あの悧口な聡明な夫人が、こんな露骨な趣味の悪い技巧を弄する訳はない! やつぱり、夫人の本心から出た自然の書き散しに違ひない。信一郎の心の中の男性に共通な自惚《うぬぼれ》が、ムク/\と頭を擡げようとする。あの先刻受け取つた手紙も、かうして見ると、夫人の本心を語つてゐるのかも知れない。夫人を妖婦のやうに思ふのも、みんな自分の邪推かも知れない。彼女は、男性との恋愛ごつこ[#「ごつこ」に傍点]に飽き/\してゐるのだ。彼女の周囲に、蒐まる胡蝶のやうな戯恋者に、飽き/\してゐるのだ。本当に、心をも身をも捨てゝかゝる、
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