と思ふのですね。トルストイの作品が日本などでも段々通俗化して来たやうに、通俗化して行かない作品こそ、却つて何かの欠陥があると思ふのですね。御覧なさい! 馬琴でも西鶴でも、通俗化して行けばこそ、後代に伝はるのぢやありませんか。『金色夜叉』が通俗化してゐるからと云つて、あの小説の芸術的価値を否定することは出来ませんよ。僕は芸術的に秀《すぐ》れてゐればこそ、民衆の教養が進むに従つて、段々通俗化して行つたのだと思ふのです。紅葉の考へ方や、観方はいかにも常識的かも知れません。が、然し作品全体の味とかその表現などにこそ、却つて芸術的な価値があるのぢやありませんか。あの作品の規模の大きさから云つても、画面的に描き出す手腕から云つても、明治時代無二の作家と云つてもよいと思ふのです。いや、あの鼈甲《べつかふ》牡丹のやうに、絢爛華麗な文章|丈《だけ》を取つても、優に明治文学の代表者として、推す価値が十分だと思ふのです。」
信一郎は、可なり熱狂して喋つた。法科に籍を置いてゐたが、高等学校に入学の当時には、父の反対さへなければ、欣んで文科をやつた筈の信一郎は、文学に就ては自分自身の見識を持つてゐた。
信一
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