に酔うてゐた。
 彼の耳に囁かれた夫人の言葉が、甘い蜜のやうな言葉が、一つ/\記憶の裡に甦がへつて来た。『自分を理解して呉れる最初の男性』とか、『そんな女性をお好きぢやありませんの』と云つたやうな馴々しい言葉が、それが語られた刹那の夫人の美しい媚のある表情と一緒に、信一郎の頭を悩ました。
 自分が、生れて始めて会つたと思ふほどの美しい女性から、唯一人の理解者として、馴々しい信頼を受けたことが、彼の心を攪乱し、彼の心を有頂天にした。
 彼の頭の裡には、もう半面紫色になつた青木淳の顔もなかつた。謎の白金《プラチナ》の時計もなかつた。愛してゐる妻の静子の顔までが、此の※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]たけた瑠璃子夫人の美しい面影のために、屡々掻き消されさうになつてゐた。
 十二時近く帰つて来た夫を、妻は何時ものやうに無邪気に、何の疑念もないやうに、いそいそと出迎へた。さうした淑《しとや》かな妻の態度に接すると、信一郎は可なり、心の底に良心の苛責を感じながらも、しかも今迄は可なり美しく見えた妻の顔が、平凡に単純に、見えるのを何《ど》うともすることが出来なかつた。
 そ
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