橋へ、人を見送りに行つたと云ふ以上、二時間もすれば帰つて来るべき筈の夫を、夕餉の支度を了へて、ボンヤリと待ちあぐんでゐる妻の邪気《あどけ》ない面影が、暫らく彼の頭を支配した。その妻を、十時過ぎ、恐らく十一時過ぎ迄も待ちあぐませることが、どんなに妻の心を傷ませることであるかは、彼にもハツキリと分つてゐた。
「如何でございます。そんなにお考へなくつても、手軽に定《き》めて下さつても、およろしいぢやありませんか。」
 夫人は躊躇してゐる信一郎の心に、拍車を加へるやうに、やゝ高飛車にさう云つた。信一郎の顔をぢつと見詰めてゐる夫人の高貴《ノーブル》な厳かに美しい面《おもて》が、信一郎の心の内の静子の慎しい可愛い面影を打ち消した。
「さうだ! 静子と過すべき晩は、これからの長い結婚生活に、幾夜だつてある。飽き/\するほど幾夜だつてある。が、こんな美しい夫人と、一緒に過すべき機会がさう幾度もあるだらうか。こんな浪漫的《ロマンチック》な美しい機会が、さう幾度だつてあるだらうか。生涯に再びとは得がたいたゞ一度の機会であるかも知れない。かうした機会を逸しては……」
 さう心の中で思ふと、信一郎の心は、籠を
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