。死が、遂に来たのである。

        四

 信一郎は、ハンカチーフを取り出して、死者の顎から咽喉にかけての、血を拭つてやつた。
 だん/\蝋色に、白んで行く、不幸な青年の面《かほ》をぢつと見詰めてゐると、信一郎の心も、青年の不慮の横死を悼む心で一杯になつて、ほた/\と、涙が流れて止まらなかつた。五年も十年も、親しんで来た友達の死顔を見てゐる心と、少しも変らなかつた。何と云ふ、不思議な運命であらうと、信一郎は思つた。親しい友達は、元より、親兄弟、いとしき妻夫愛児の臨終にさへ、いろ/\な事情や境遇のために、居合はさぬ事もあれば、間に合はぬ事もあるのに、ホンの三十分か四十分の知己、ホンの暫時の友人、云はゞ路傍の人に過ぎない、苟《かりそめ》の旅の道伴《みちづれ》でありながら、その死床に侍して、介抱をしたり、遺言を聞いてやると云ふことは、何と云ふ不思議な機縁であらうと、信一郎は思つた。
 が、青年の身になつて、考へて見ると、一寸した小旅行の中途で思ひがけない奇禍に逢つて、淋しい海辺の一角で、親兄弟は勿論親しい友達さへも居合はさず、他人に外ならない信一郎に、死水を――それは水でなく、数滴
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