うな容子をした。
「何です! 何です!」信一郎は、掩ひかぶさるやうにして訊いた。
「僕の――僕の――鞄《トランク》!」
口中の血に咽せるのであらう、青年は喘ぎ喘ぎ絶え入るやうな声で云つた。信一郎は、車中を見廻した。青年が、携へてゐた旅行用の小形の鞄《トランク》は座席の下に横倒しになつてゐるのだつた。信一郎は、それを取り上げてやつた。青年は、それを受け取らうとして、両手を出さうとしたが、彼の手はもう彼の思ふやうには、動きさうにもなかつた。
「一体、此の鞄《トランク》を何うするのです。」
青年は、何か答へようとして、口を動かした。が、言葉の代りに出たものは、先刻の吐血の名残りらしい少量の血であつた。
「開けるのですか。開けるのですか。」
青年は肯かうとした。が、それも肯かうとする意志だけを示したのに、過ぎなかつた。信一郎は鞄《トランク》を開けにかゝつた。が、それには鍵がかゝつてゐると見え、容易には開かなかつた。が、此場合瀕死の重傷者に、鍵の在処を尋ねるなどは、余りに心ないことだつた。信一郎は、満身の力を振つて、捻ぢ開けた。金物に付いて、革がベリ/\と、二三寸引き裂かれた。
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