−下−2]スキイが、利いたのか、それとも偶然さうなつたのか、青年の白く湿《うる》んでゐた眸が、だん/\意識の光を帯び始めた。それと共に、意味のなかつたうめき声が切れ切れではあるが、言葉の形を採り始めた。
「気を確《たしか》にしたまへ! 気を! 君! 君! 青木君!」信一郎は、力一杯に今覚えたばかりの青年の名を呼び続けた。
 青年は、ぢつと眸を凝すやうであつた。劇しい苦痛の為に、ともすれば飛び散りさうになる意識を懸命に取り蒐めようとするやうだつた。彼は、ぢいつと、信一郎の顔を、見詰めた。やつと自分を襲つた禍《わざはひ》の前後を思ひ出したやうであつた。
「何《ど》うです。気が付きましたか。青木君! 気を確にしたまへ! 直ぐ医者が来るから。」
 青年は意識が帰つて来ると、此の苟《かりそめ》の旅の道連《みちづれ》の親切を、しみ/″\と感じたのだらう。
「あり――ありがたう。」と、苦しさうに云ひながら、感謝の微笑を湛へようとしたが、それは劃《しきり》なく襲うて来る苦痛の為に、跡なく崩れてしまつた。腸《はらわた》をよぢるやうな、苦悶の声が、続いた。
「少しの辛抱です。直ぐ医者が来ます。」
 信一郎
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