く軽便鉄道の汽車の音は、段々近づいて来た。自動車が、ある山鼻を廻ると、眼の前にもう真黒な車体が、見えてゐた。絶えず吐く黒い煙と、喘いでゐるやうな恰好とは、何かのろ[#「のろ」に傍点]臭い生き物のやうな感じを、見る人に与へた。信一郎の乗つてゐる自動車の運転手は、此の時代遅れの交通機関を見ると、丁度お伽噺の中で、亀に対した兎のやうに、いかにも相手を馬鹿にし切つたやうな態度を示した。彼は擦れ違ふために、少しでも速力を加減することを、肯んじなかつた。彼は速力を少しも緩めないで、軽便の軌道と、右側の崖壁の間とを、すばやく通り抜けようと、ハンドルを廻しかけたが、それは、彼として、明かな違算であつた。其処は道幅が、殊更狭くなつてゐるために、軽便の軌道は、山の崖近く敷かれてあつた、軌道と岩壁との間には、車体を容れる間隔は存在してゐないのだつた。運転手が、此の事に気が付いた時、汽車は三間と離れない間近に迫つてゐた。
「馬鹿! 危い! 気を付けろ!」と、汽車の機関士の烈しい罵声が、狼狽した運転手の耳朶を打つた。彼は周章《あわ》てた。が、遉《さすが》に間髪を容れない瞬間に、ハンドルを反対に急転した。自動車は
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